電磁気今昔物語としてJEIC電磁界情報センターニュースの読者に電気や磁気に関連することがらを役に立つこと役に立たないことを気楽にまた思いつくままに紹介し、センターの活動に興味を持っていただきたいと思います。

第1回は、「関ヶ原の合戦とウイリアム・ギルバート」の表題で、磁気学が系統立った学問として世界史上で認知されはじめた時代とその周辺の年代をたどってみました。共通するキーワードは西暦「1600年」です。

1600年(慶長5年)は、我が国の長い歴史の中で、東軍の総大将徳川家康ひきいる10万の軍勢と西軍は豊臣秀吉の家臣である石田三成を大将とした8万の軍勢の両軍が関ヶ原で対峙し、天下分け目の戦いとして世に名高い関ヶ原の合戦の火蓋が切って落とされたことで有名な年です。 9月15日、霧の中、わずか6時間の激戦の末に西軍の三成が敗走して勝負がついたといわれています。 この戦いに勝利した家康は、秀吉の天下を引き継ぎ、300年にわたる徳川による幕藩体制のきっかけを手に入れたことは歴史上有名な事実です。 今から振り返ってみると、この関ヶ原の戦いは、わが国の将来の運命を左右する大きな戦いであったといえるかもしれません。 現在、関ヶ原の合戦が繰り広げられた狭い谷間には、日本の交通の幹線を担っている名神高速道路や東海道新幹線が通っていますが、新幹線の車窓からは合戦の舞台となった古戦場の面影を偲ぶことはできません。また、2009年(平成21年)のNHK大河ドラマの主人公である直江兼続が、米沢藩上杉家の家老として家康を相手にして活躍したのもこの時代です。

関ヶ原の合戦で戦いに明け暮れている同じ1600年、磁気の研究では、歴史上有名な「磁石論」がイギリス、ウイリアム・ギルバート(1544-1603)により著わされました。 彼は、地球それ自体が一つの大きな磁石からなっているということを、球形の磁石のまわりの小さな磁石の振る舞いから類推して「磁石論」に記しました。 古来より中国での指南車に見られるように、磁石が南北の方向を向く、また磁石が鉄を引き付けるという現象は目新しいことではありませんでしたが、様々な磁気現象についての緻密な実験と推論の末に磁気学の基礎を作り上げたことで、今では科学史上必ずと言っていいほどギルバ-トの名前を見ることができます。 ウイリアム・ギルバートはイギリスの医師であり、エリザベス女王(エリザベス一世)の侍医として活躍し、1603年に亡くなった女王を追うように数ヵ月後に死去しました。 その死因はペストであるといわれています。

その「磁石論」の正式な表題は、「磁石と磁性体、そして大きな磁石である地球について多くの論述と実験で証明された新哲学」です。 この表題から分かるように、ギルバートの主張は、地球は大きな磁石であるというところにあり、ここで示す「新哲学」はまさしく「磁気による哲学」を意味しその後の西欧における科学哲学に大きな影響を与えているとされています。 このころのヨーロッパは、ニコラス・コペルニクス(1473-1543)による地動説の提唱、ティコ・ブラーエ(1546-1601)、ウイリアム・ギルバートの影響を受けたとされるヨハネス・ケプラー(1571-1630)がとりまとめた天文学の発展(ケプラーの三法則)が見出され、宇宙の理論的な体系づけによる近代科学の出発点となる時期でした。そのような時期にギルバートの「磁石論」が著されたのです。

近代科学の黎明期に現れたギルバートは、地球は大きな磁石であるということを述べ有名になりましたが、「磁石論」は先人の重要な仕事が引用されていなかったり、また引用しても自分の仕事であるかのように論述していることが散見されているようです。 そのような先人の仕事には、イタリア、ナポリ生まれのデッラ・ポルタ(1535?-1615)が著わした「自然魔術」(1558年)の第7巻(第1版)56章からなる「磁石の不思議について」、「伏角」(磁針の北は水平より下の方向を向く)の発見と測定を行ったイギリスの職人ロバート・ノ-マンの研究(1581)などがあったとされています。

「磁石論」は全6巻よりなっており、今日、積極的に評価されているのは、第2巻2章に記載されている通り、ギルバートが検電器を考案し、さまざまな物質の静電気的な引力に関する議論を重ね、今日の静電気現象研究の出発点を築いたとされることではないかといわれています。何はともあれ、ギルバートが「磁石論」を著わしたことから、磁気学の祖といわれていることは間違いがない事実です。

一方、なぜ地球が大きな磁石になっているかという疑問に対しては、いまだに十分に信頼できる解答は得られていませんが、日本の研究者によるダイナモ理論が提案され一応の決着がついているようです。それは、地球中心を占める溶融鉄の流体からなっている核内でダイナモ作用と呼ばれる発電が進行し、その電流が作る地場が地球の磁場になっているという考え方です。

関ヶ原の合戦に先立つ数ヶ月前、1600年3月、オランダ船リーフデ号(正式名は、エラスムス号)が今の大分県(豊後)臼杵港外の海岸に漂着したことも、我が国の歴史にとって重要な出来事でした。この船には、その後日本の歴史に大きく貢献するイギリス人ウイリアム・アダムス、オランダ人ヤン・ヨーステンが乗り合わせていました。ウイリアム・アダムスは、関ヶ原の合戦に勝利した家康に外交・通商顧問として仕え、三浦半島(横須賀)に領地を賜わった三浦按針その人です。また、ヤン・ヨーステンも同様に家康に顧問として仕え、今日では、江戸での住居跡東京八重洲の地名に彼の名が残っています。このような事実から、歴史的には1600年が我が国とオランダ、イギリス両国との交易の始まりであるともいわれています。漂着したリーフデ号は、その後、江戸まで回航されましたが、残念なことに解体されてしまいました。しかし、解体から失われず今日まで伝わっているのが国宝となった木製の船尾の立像エラスムス像で、オランダとの交易の象徴として今でも東京国立博物館に保存されています。

1600年代は、イタリアのガリレオ・ガリレイ(1564-1642)やフランスのルネ・デカルト(1596-1650)が生きていた時代です。我が国では、1600年以降、三浦按針やヤン・ヨーステンが外交的に活躍する一方幕藩体制の基礎が次第に築かれていった時期であり、1633年には、家光による第1回の鎖国令が発布され、徳川による政治体制が強固なものになっていきました。歴史上の事柄に「もし」ということはありませんが、「もし鎖国令が発布されなかったら、西欧の近代科学の導入により我が国の近代化が早まったのか、はたまた中国などと同じように西欧列強に侵略されたのか」など1600年以降を考えると興味が尽きません。

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